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2017.06.26

【Vol.2 ひどくなる 2014秋】(ペンネーム:輪子さん)

前回の続き
【新】Secure Base を探せ!/ペンネーム:輪子さん

人助けをした、という私の思い上がりは、私が日本を離れてすぐに破綻していました。そもそも、私は依存症をビールが飲めなきゃ、お茶でもコーヒーでもあるじゃんという無知なマリーアントワネット的感覚で捉えていました。

 

9月に入り、彼から友人と現場の近くに暮らし始めた、海のそばで魚も美味しいし、朝日も綺麗だよ。そんなコメントと共に、美味しそうなお刺身の夕食を撮った一葉の写真がLINEに届きました。

 

でも、端っこに映る500mlのエビスビールの缶。

 

彼がまた誤った道に行ってしまう。私はとても焦りました。私は毎日毎日、おはよう、おやすみ、今日の現場はどうだった?そんなことがあったんだ、大変だね、私は海外にいながらにして、自分の生活をそっちのけで彼と四六時中LINEのやりとりをしました。

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何故かいつも時差を無視して、海外にいる私と同じ時間帯にLINEで話ができる。かと思うと、急に連絡がつかなくなり、何通メッセージを送っても梨の礫。でも、暫くすると、ごめんね、と言って何もなかったかのようにまたやりとりをする。5000マイルの距離では何が起きているか確かめようもなく、けれどすぐ隣で起きているかのような強烈な不安に私は囚われて行きました。

 

私は意を決して、自分の目で確かめるために11月のサンクスギビングという少し長めの休暇をを狙って、航空券を購入しました。前回、夏休みが終わり日本から経った際、中継のロサンゼルス空港でお土産のぎっしり詰まったスーツケースを一つ盗まれ、航空会社から賠償金が入ったばかりでした。それは丁度、私と息子が日本に戻れる片道分の金額でした。

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彼は、現場そばの西鎌倉のアパートに現場監督の友人と二人で住んでいました。訪ねて部屋に入ると半透明のゴミ袋は500mlのビールの空き缶で満杯でした。現場監督のその友人は、「一日3本までって決めてるんだ。俺も一緒に飲むし、ちゃんと見てるから心配しないで。」と。

 

夜遅くまでバーで飲み、再飲酒の反動で体が動かなくなるとまたお酒を少し抜き、また飲みながら仕事に出る。そんな毎日だったのだと思います。今思えば、仕事が終わった後に現場監督の友人と行くバーは彼の飲酒欲求に対する「報酬」として機能していて、その友人も絵に描いたようなイネイブラー(当事者が飲み続けることを可能にする人)でしたし、私が彼の飲酒という問題を心配し、優しさという名でコントロールしようとしていたことも、当時は全く無自覚でした。なんにせよ、依存症がどんなものであるか、周囲の誰も、何も、正しい情報を知らなさ過ぎたのです。

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そうこうしているうちに、あっという間に彼の行動は目に見えて辻褄が合わなくなって行きました。単純な工事の工程もミスを重ねる。深い闇の底に囚われたかのような救いようのない鬱状態、バーにいると思われる夜の長さ、自分の用事で東京の自宅へ戻った次の日は、いつも何某かの理由をつけて仕事現場に現れることはありませんでした。

 

バツ1、親のいない大家はモテるのよ、俺の男の美学だからね、とかわけのわからないことを言って、ソフレ(=添い寝フレンド←アホです)の女の子が先代の残してくれたマンションを出入りしていました。

 

 

「ねえ、生きづらくない?」
何言ってんだ?といった顔で私を見る彼。

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この頃から、私はアルコール依存症と名のつく情報を片っ端から貪り始めました。まず知識を手に入れる事。この病を正しく理解する事。夏のデイケアの家族会で言われた事を今更ながら痛感しました。

 

自分の意志とは関係のない脳と心の病気。変わり果てた彼の姿。子供の頃背伸びをして読んだ太宰治の小説を思い出しました。でも今の彼を人間失格と切り捨てられない昔の思い出。出口の見えない迷路で、私にはこの『病』という視点の地図がどうしても欲しかったのです。
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ある晩のこと、東京に戻っているという彼に、私は自分の息子を連れて会う事になりました。日も暮れて、今日は俺の息子が長距離バスに乗って泊まりに来るんだ、と彼が言うので、それなら以前にも私の息子と遊んでいるんだから、挨拶してから帰ろうかな?と一緒に新宿の高速バスの停留所へ出迎えに行きました。

 

ところが、バスから降りて来たのは9歳の彼の息子だけでなく、2歳の小さな娘も一緒でした。妹も父親に会いたいと言ったから、母親がそれなら一緒に行けと二人きりでバスに乗せた、というのです。

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事の経緯はともかくとして、私は素早く先を見通し、狼狽えている彼を尻目に、よし、今晩はもう皆んなでお家に帰ろう!と予定を変更し、子供達を連れて彼の自宅へ向かいました。私の息子と彼の息子は歳もひとつ違いだったので布団を敷いて一緒に寝かせ、父親に似て物怖じしない娘ちゃんは本を読むとスヤスヤと私の隣で寝息を立て始めました。すると、彼が私の側に来て、

 

「あのさ、今日辞めちゃうバーテンダーが居るんだ。00:30には戻って来るから挨拶して来ていいかな?大丈夫、飲まないから。」明日仕事だし、近所だし、子供達も久し振りに来てるんだから、ま、長居する訳ないよね・・・。

 

「気をつけて」

ベッドの中から物分かりのいい自分を演出して送り出し、眠りにつきました。二度、起きましたが、テキストをしても返事は返ってきませんでした。
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バタン!
扉を開ける大きな音で目が覚めました。時計は朝4:30を指していました。暗い部屋の中にボンヤリ人の影が浮かびました。よろめくように箪笥の角に立つ彼。呆れて口の中の言葉をどこに投げようか迷っていると、

 

 

ジャーーーーー‼「わああ、そこっ、トイレじゃないしっ‼」

 

 

ガタッ、ドスッ!
静かになったかと思ったら、隣の部屋でソファーにハマって死んだように眠っている彼がいました。

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ビショビショの床、お酒の匂いで満たされた部屋。『話はシラフの時にする事。やらかした時はそのままにして、自分で責任を取ってもらう事。相手を責めずに、話は冷静簡潔。私を主語にして話す事』丁度読んでいた、CRAFT*の本に書いてあった事を思い出しました。

 

広げかけた自分の怒りと悲しみを素早く掻き集めて心にしまい込み、もうすぐやって来る朝を待ちました。

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「ごめん」目が覚めた彼は青ざめた顔でソファーに座り、ポロポロと涙を溢していました。

「バーに行った後、友達にさそわれてドライブに行ったんだ。 こんな2歳の子を9歳に押し付けて『ビックリした?』なんてあの人からテキストが来てて、 何て酷い事するんだ、なんかあったらどうするつもりだったんだって思ったらどうしていいか分からなくて、車の中で角渡されて、全部飲んじゃって、ごめん、本当にごめん。」

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その時、私が何と返したか、今となっては、正直思い出せません。でも、一つだけ覚えているのは、噴火しそうなドロドロの気持ちを抑え、淡々と話を聴き、私は帰って来て欲しかったよ、まだ床がビショビショのままだから、片付けてね、と、ただ事実だけを感情のラッピングペーパーに包まずに本人に手渡した事でした。

 

それは、初めて自転車の練習をするときの様な、今まで体験したことのない心の操縦方法 でした。這いつくばって、床を拭く彼の後ろ姿は、憐れでした。子供達が怪訝そうな顔で彼の側に立っていました。

(次回に続く)

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*CRAFT= Community Reinforcement and Family Training (コミュニティ強化法と家族トレーニング)の略称。家族を含む周囲が当事者とのコミュニケーションの方法を変えることで、本人の意思で依存症治療につなげるチャンスを増やすというテクニック。北風と太陽に例えると、闇雲に厳しい非難をするのではなく、周囲が当事者に適切な「気づき」を得る状況を作る事で、本人のコートを自ら脱がせるといったイメージです。