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2017.05.11

【新】Secure Base を探せ!/ペンネーム:輪子さん

①おかしい 2014年 夏

「迎えに来てくれてありがとう!」前の年の5月、ひょんな事から高校の部活のメンバーがLINEでつながり、それがきっかけで25年ぶりに彼と再会しました。一年経ち、去年より太ったかも? と思いながらも、彼はあの時と同じ笑顔で成田空港で待っていてくれました。

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当時、海外に住んでいて、彼に「日本人の皮を被った外国人」と揶揄されていた私は人目もはばからず彼をギュッと抱きしめました。うーん、無味無臭がトレードマークだった彼も加齢臭には敵わないのかなあなんて思いながら。昔はこんな変な匂いしなかったよなあ。

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学校の用務員さんからは「力持ちの学生さん」、お母さんたちからは「高校一優しいボーイ」 という微妙なセンスの異名を取っていた彼は、手際よく私の息子を誘導しながら、高校の後輩に借りたという軽のワンボックスにスーツケースを積み、東京へと運転を始めました。

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会っていなかった一年分の出来事を振り返りながらのドライブ。私の実家に着いた頃には夜10時を回っていて、息子は車の中で沈没船のように眠っていました。彼は息子を起こさないように抱えると急な階段を昇ってベッドに寝かし、汗びっしょりで久しぶりに私の母に挨拶をしていました。

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ソファーに座り、母の入れた色水のような薄いコーヒーを飲み干している彼を申し訳ないなあ、と思いながら見ると、誰かと連絡を取るために携帯でテキストを打っていました。あれ? この人なんでこんなに手が震えてんの? 全然打ててないじゃん。「じゃ、ごちそう様でした。俺、行きます」お礼をし足りなくて、ご飯も食べていけばいいのに、と言っても、彼は大丈夫大丈夫、じゃあね、また連絡するよ! と言ってそそくさと帰って行きました。変なの。

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2014年の夏、そもそも私は英語しか話さなくなってしまった息子を日本の小学校に体験入学をさせるために(そして将来、日本の学校に入学させることも視野に入れて)10週間もある長い夏休みを利用して日本に帰って来ました。でも、この「変なの」という感覚は夏休みの間、彼と会うごとに大きくなって行きました。

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そりゃ、確かに高校の時からよく飲んでたけど (何なら中学の時から飲んでたみたいだけど) 今や仲間と飲み会をすれば、生の大ジョッキをかけつけ3杯、大好きなジントニック、その他にもほぼ下戸の私にはわからない名前の飲み物を一晩に次々に空け、その量は尋常ではありませんでした。目の色も黄色いというより黄緑、胸の下からぽっこり出ているお腹。いつ会ってもするお酒の匂い。

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高校時代、彼は足に車輪がついているのではないかと言う程、よく自転車に乗っていました。ギアの付いていない、当時はまだ珍しかったBMX。彼をよく知らない頃から、あり得ないスピードでバスと競争しながら登校する姿を見かけ、実家の祖母に危ないからと自転車禁止令を出されていた私にとっては、羨望の的でした。

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彼と仲良くなり、乗れないんだよね、と言うと、教えてあげるよ、と言って普段乗らないママチャリをどこかから借りてきてくれて、後ろに私を乗せ、初夏の公園で練習をしてくれました。もっとも、練習なんてどうでもよかったとお互い思っていました。そんな風に想っていたのに、秋には私は違う人の自転車の後ろに乗っていて、でも、その記憶を25年間鮮明に持ち続けていた私にとって、今の彼は、あれ、この人、こんな人だったっけ? という思いで一杯だったのです。
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「なんか、おかしいんですよね」後日、よく話を聞いてくれる年上の友人にそう言うと、「アルコール外来ってのがあるから相談してみれば?」そんな所があるんだ、と思いました。早速、ネットで調べると、丁度彼の自宅に近い場所に一件。電話をかけると担当の方が聞き取りをして、「では7月18日にご本人と一緒にいらして下さい」「はい、宜しくお願い致します」そう言って受話器を下ろしました。
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「ねえねえ、もういいオッサンなんだからさ、一回診てもらおうよ。離婚したからって、お父さんまだ死ねないよ」
渋谷のバーに呼び出して、冗談交じりに話しかける私に、「親父も太く短く生きるんだって言って44で死んだけど、親父の歳超える気がしないんだよねー」めんどくさい奴だなあと思いながら、「じゃあ、これが最後のお酒ね。明日一緒に行ってなんでもなければそれでいいじゃん。ハイ乾杯! 」次の日病院に行くと、すぐ血液検査や尿検査が始まり、続けて臨床心理士の女性は手際よく問診を進めました。

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「はい、幻聴ありました」答える彼。え? そんなの聞いてないよ?聞き取りが終了すると、院長先生からお話があるのでこちらへどうぞと部屋に通されました。小柄な先生の前に二人でちんまり座ると、先生は開口一番、「えー、あなた、立派な依存症ですね。太鼓判押します」「は? ちょっと待って下さい、てことは・・・ つまり、どういう事なんでしょうか?? 」私が割って入る隣で、神妙な面持ちの彼。
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「ガンマの数値1690ね。このままいくとあと2~3年ですよ」このままだと肝臓壊してしまいますよ、という温度の答えを待っていた私は頭から逆さまに水風呂に浸けられた思いがしました。でも、依存症ってお酒飲んでクダ巻いて暴れたりするんじゃないの? この人、大酒飲みだけど優しいし、そんなの一度もないよ。これが3年前の私の依存症に対する認識でした。
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抗酒剤、断酒、離脱症状、デイケア、どれも人生で初めて聞く言葉でした。お酒が切れると手が震える、幻聴、異常な発汗。迎えに来てくれた日のカラクリが解けました。そうか、君は運転するためにお酒を抜いたのね・・・。「あのさ、あなたはショックかもしれないけどさ、俺はそうだろうなって思ってたんだよ。昔あの人に、あんた絶対そうだからって本突きつけられて、読んでみて、あー、俺、絶対そうだわって」前のカミさんに言われてたんかい! じゃあ、なんとかしようよ、死んじゃうよ!!

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病院の帰りに抗酒剤をもらい、そのまま地元の行きつけのバーでノンアルジントニックを飲みながら呑気にガンマの数値を自慢する彼。「じゃあ、僕のiPhoneの暗証番号、今日から1690にしますよ」 と返す店長さん。いや、そこの二人、笑ってる場合じゃねえだろ、こら。

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「あなた、言い出したら聞かないからね」彼は渋々次の週からその病院のデイケアに通い始めました。1週間、2週間と続けていくうちに、なんだかどんどん元気になっていきました。そのうち俺はトレーニングをする! と宣言をして近所の区民体育館に通いだし、するすると体重も落ちて一夏が過ぎました。
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「もう大丈夫。本当にありがとう。一人でもやっていけるよ。9月からは湘南で、改装の仕事も友達に誘ってもらったから、心配しないで」ああ、よかった。お酒も無事やめられたし、じゃあ、大工さん、またね! 高校の部活の仲間も来てくれた成田で、私と息子はまた彼をギュッと抱きしめ日本を後にしました。その頃は自分のお酒に対する無知さ加減も「共依存」なんて忌まわしさにも気がつくはずはありませんでした。

続く。