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- 私たちにも助けが必要だった~依存症問題を抱えたご家族の物語~
2016.06.22
回復への道は遠かった~親子で悪循環から抜け出した記録~ 佐々ケイ(第六回)
「家族にも底付きがあった」
私は自助グループに毎週行くようになっていました。そこで12ステップに出会って、自分がステップ1の状態にいることを知りました。
先輩が勧めてくれた「依存症の子供をもつ両親へ」という冊子には、「手から離して神にあずけなさい」が繰り返し書かれてありました。ぎゅっと握った手を離さないでいた自分の姿は分かっていました。「これまで余計な手出し、口出しをして、飲酒を長引かせてしまった。危機の訪れを防いではならない。苦しみを和らげてはいけない」と、自分に言い聞かせました。
その頃、依存症者が回復をめざして入寮できる施設があることを知ったのです。
ある朝、出勤した息子が2時間くらいで帰ってきて、そのまま、出ていきません。泥酔した翌朝でも仕事を休まない息子が、その日から1ヶ月以上家にいるのです。酒量も増えていきました。
深夜、飲んだ息子が階段にまき散らしたものに、私は新聞紙をかぶせて1段1段ごとに敷き詰めていました。その手が止まりました。
「もうこんな生活は嫌だ!」
「この家から出ていこう」。
立ち上がって旅行カバンを取り出し、着替えを詰め始めました。
これが家族の「底付き」でした。
翌朝、意を決して私は、息子に施設の話をしました。
「酒を止めるだけでなく、その人の在りようや、成長も望める。そんな施設があるそうや。行かないなら私の方が~」と切り出すと、「そんな所があるんやったら、何故、もっと早く知らせてくれなかったのか」と、思いもよらない答が返ってきました。
施設に電話連絡をして、息子は説明を聞きに行きました。では、すぐ入所が実現するのか?そうはたやすくは進まず、1週間、2週間と過ぎていきます。
「入所の日時を決めるというやり方はどうか」ということになり、旅行に出ていた息子がホテルから電話をして決めました。その日から5年が経ちます。
家族にとって依存症は不幸ではあるけれど、今まで、知らずにいた世界にドアが開いて、入っていく機会になりました。接点のなかった人たちとの出合い、その人たちが差し伸べてくれた温かさ。振り返ってみると、自分の情けないような弱さ、ずるさ等々を突きつけられました。そこでは既成概念が通用しないことも知り、考え方の回路が変わったかもしれません。
依存症は辛く、厳しいものですが、豊かに広がっていく世界でもあると思っています。
<おわり>
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